14/01/2016

お寺体験の感想文 – Glauco Escórcio






去年の1031日から1102日にサンパウロ別院でインタネットで付き合ってた友人達と新しい経験を受けました。参加者の友人達はみんな「仏法僧で結ばれた兄弟」のように思えます。「お寺体験」身で学ぶお寺生活を中心する研修でした。ブラジルで先駆的な浄土真宗大谷派の研修でした。ですから担当の僧侶たちから研修生たちまで大変重い責任を持ちながらみんな一緒に期待していました。
参加された研修生で「仏道兄弟」のCelso O-JunさんとÍcaro Matiasさんは体験の後に御自分一人ひとりで心の込めた感想文を書きましたが、私は下書きしましたが、もう少し落ち着いてから感想文を書くつもりでした。別院に着いて同時に不安で緊張しながら期待もしていました。寺院では決まった道筋や習慣や伝統に深みのある聖なる場所です。またはあまり慣れていない違った生活環境で失策しないように心配をしていました。しかし、ワギネル伯信先生とマウリシオ本諾先生と尾畑輪番にあたたかく迎えられて安心しました。
体験が始まるとすぐに心の心配は無くなり、比べの無い学び経験を受けられました。もう私の下手なジェスチャーにも気にしなくなりました。さらに、自己心配なんてもうありませんでした。「お寺体験」は個人を超えて唯一の存在でありました。6人の研修生は一つ全体になりました。その全体はサンガとして私たち入門者と僧侶たちと御輪番と料理人と事務員たちを囲まれました。見事な共同生活で一体化な友愛を試しました。
私は11年前に仏教と出会いました。つまり、「お寺体験」で「行」について私の視点が変わりました。例えば、食物と比べて今までは生きるために食べていた料理をもっと調味料を加えて美味しく栄養のある食事をいただいて元気になったようです。
ですから浄土真宗の中心になる「正信念仏偈-正信偈」は新ためた意味をもち、深く恵まれました。知識の広いワギネル伯信先生からの一滴の智慧をいただき、正信偈の称えに深く感動させる道を開きくださってもとより熱心になりました。
マウリシオ本諾先生からは広い浄土真宗思想に目覚められ、清沢 暁烏 や毎田周一や金子大栄や曽我量深の哲学的思想に入門されました。または、大谷派の歴史にも巡りました。
その他にもまだ真宗象徴、儀式作法、お仏飯作り、法事の意義と尾畑文正輪番の言葉も含めて、忘れられない体験でした。当時には合理的な経験とは言えませんで小さな私よりもっとはるかに大きな何かに統合され、一心を感じました。

つまり、この感想文は「お寺体験」のすぐ後を感動的な言葉で表すつもりはなかったのですが、多分私は完全に失敗しました。お寺で過ごした日々を報告するには感情をこもって説明するにしかないです。お寺で生きたのは精神、感動に抱かれて、言葉で表すのは不可能です。

みんな最終的に阿弥陀仏の無限な光明に引き取られていました。私の感謝の言葉を心から表わすことしかできません。これからの次の「お寺体験」にも参加される方々にもこのような経験を受けられるように応援します。道理を超えた同じようにあたたかい歓迎、学び、感謝を受けられると嬉しいです。みんな一緒に阿弥陀様の大慈悲を受けられるよう願います。


南無阿弥陀仏

Glauco Yui-Nen (釋唯念)

201618

日語訳‐Sayuri Tyō Jun



Nenhum comentário:

Postar um comentário