19/01/2016

お寺体験の感想文 ‐ Silvia Cappuccelli (釋尼寶華)



原本(Texto Original)
日語訳: Sayuri Tyō Jun

サンパウロ別院で「お寺体験」からもう3ケ月間過ぎましてからやっと感想文を書ける気になりました。体験の目的は私たちのような在家に向かい、お寺で僧侶の生活を体験する研修でした。私にとっては宗教や超越的な課題は感覚に結ばれていると思います。ですからこの感想文は経験の主観的な視点から考えて書き始めました。

まず、私は昔から仏教に憧れていました。しかし、正式に仏教徒になる前に様々な宗派があることにずいぶん迷いました。

チベット仏教の儀式は綺麗と思い、禅宗の質素な形式に引きつけられ、テラヴァーダ仏教の古代仏教との忠実な関係と浄土真宗の内観を中心する仏道などに紹介されました。つまり、阿弥陀仏の立像は私たちに向かって立ち上がる姿に下品下生の者から上品上生者の衆生を救う「印-ムドラ」をなさってくださるには心から有り難いことです。阿弥陀様が区別せず平等に救いを願う私たちに与えくださる本願によって真宗の道を歩むことに決定しました。

この区別せず救いは私たちの現実に非常に大切です。私たちは文化や習慣で限られてるのは同じ人間でありながら「悪人と善人」に分類されています。キリスト教のことわざに説く「毒麦のたとえ‐マタイによる福音書 13、24-30」に深く影響があるからです。

阿弥陀様の区別しない開いている心を表すにはまだどれほどこのブラジル大地を歩まなければならいかと思います。このようの「お寺体験」は一つ重要な一歩だと感じます、みんな三宝に帰依されて阿弥陀様に抱かれて、実に本願に囲まれると思います。

私が浄土真宗に幸いに入門されたのは2013年12月01日に行われました。帰敬式を受けられたときでした。つまり、真宗儀式はとても難しいと思っていまして、または日本語分からないこともとても困っていました。そのわけで私の「行」はただ念仏を称えることに限られていました。この体験で儀式に近寄らされてやっと自分で想像していた壁を崩し始めました。

「お寺体験」でまず「偈」である正信偈の豊かな美しさにアクセスされました。親鸞聖人のあざやかなお言葉や色々な教えに出会い、大谷派の象徴に恵真しました。真の師である僧侶たちの歩みを眺めて仏法僧に恵念されるお勤めを確かめました。または勤勉にポルトガル語翻訳の仕事をされて阿弥陀様の歩みをブラジルに根を張っていかれる目的は比べの無い回向を生み出されると思います。

仏法は色々なところを通り、様ざまな文化に吸収されても穢れの無い白蓮のように純粋な本性を失うことはありませんでした。ブラジルには仏法はいくつかの民族の手から入り込みました。私たちブラジル人には親鸞聖人の教えを納得して心の中に吸収されるには僧侶たちの努力はとても必要です。これからもずっとこのような体験が続いてくださるのに応援します。そして、親鸞聖人の教えがたくさんの人びと、心と想いを届くように期待しています。

先生方と研修生との一緒に生活した経験はとても裕福な出会いでした。もうこれ以上涙を堪えなくて言葉で表すことは出来ません、心の巡りあいでしたからです。まるで再会、里帰りでした。

この感想文は皆さんへの私の感謝の言葉でございます。


合掌


Nenhum comentário:

Postar um comentário